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竹林の七賢 ちくりんのしちけん

竹林の七賢とは、後漢後の3世紀の中国、三国時代(魏,呉,蜀)の魏の末期に、酒を飲み交わしたり、清談を行ったとされる7人の賢者のこと。


・阮籍 げんせき
・嵆康 けいこう
・山濤 さんとう
・劉伶 りゅうれい
・阮咸 げんかん
・向秀 しょうしゅう
・王戎 おうじゅう



阮籍 げんせき(210~263)
竹林の七賢の指導者的人物俗物が来ると白眼で対し、気に入りの人物には青眼で対した。これが転じて、気に入らない人物を冷遇することを、白眼視という。
当時の礼法では、喪中には酒や肉を断つ義務があったが、母の葬儀の日にも大酒を飲んで肉を食い、母の棺と別れた後、もうだめだと言って血を吐いて倒れた。


嵆康 けいこう(224~262)
非凡な才能と風采を持ち、日頃から妄りに人と交際しようとせず、山中を渉猟して仙薬を求めたり、鍛鉄をしたりするなどの行動を通して、老荘思想に没頭した。
嵆康は「琴(きん)」の演奏を好のみ、「広陵散」と呼ばれる琴の曲を得意としていた。音楽理論に精通し、「声無哀楽論」「琴賦」を著した。その他の著作に「養生論」、「釈私論」がある。詩は、「幽憤詩」、「贈秀才入軍五首」など、四言詩に優れていた。


山濤 さんとう(205~283)
幼少時は、貧窮した生活を送っていた。老荘思想に耽り、嵆康・阮籍らと交遊した。


劉 伶 りゅうれい(221~300)
身長が約140cmと低く手押し車に乗り、円匙(スコップ)を携えた下僕を連れて、「自分が死んだらそこに埋めろ」と言っていた。(『世説新語』)
酒浸りで、素っ裸でいることもあった。ある人がそれをとがめたのに答えて言った。「私は、天地を家、部屋をふんどしと思っている。君らはどうして私のふんどしの中に入り込むのだ。
酒浸りなので、妻が心配して意見したところ、自分では禁酒できないので、神様にお願いする」と言って、酒と肉を用意させた。そして祝詞をあげ、「女の言うことなど聞かない」と言って肉を食い、酒を飲んで酔っぱらったという。


阮咸 げんかん(生存年代不明)
竹林の七賢中で二番目に年少である。若くして叔父の阮籍と共に飲酒宴遊した。


向 秀 しょうしゅう(生存年代不明) 
著書に『晋書』、『世説新語』がある。


王 戎 おう じゅう(234 - 305)
中国三国時代から西晋にかけての政治家・軍人魏・晋に仕えた。
若いころから文才に優れた。
『世説新語』では幼い時に神童であったが、長じて吝嗇家(ケチな人物)になったという。
『晋書』に伝がある。